えちごのてつどうしゃしん
 
新潟県中越・長岡周辺の鉄道写真ブログ。写真をクリックすると1200×900くらいのサイズの画像が開く極悪仕様です。
 



上越線 只見線用気動車回送 キハ48 551

2013.9.10 小千谷-越後滝谷
小出へ向かう回2722D。






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2013年12月19日(木)00:14 | トラックバック(0) | コメント(5) | その他の気動車列車 | 管理

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コメント

 1: キハ40系絡みで

D派様 度々で失礼致します
16日に車窓より郡山総合車両センター敷地内で
キハ47新潟色の189とあと1両を確認、解体処理される直前の様でした。一見、使い勝手よさそうなキハ47ですけど、東会社では少数派で活動範囲は限られて新潟地区に転入後も冷改もエンジン換装もされず仕舞いで。
東日本では未だキハ40系置き換えの大幅なスケジュールは上がってないようですが、何れにせよ遠からずでしょうね。
画像、石巻線でのキハ40系で個人的にはあまり
好印象でない東北地域本社色でしたが、石巻貨物で度々訪するにつれ情がうつってしまったのかもしれません(苦笑)。格別、4連ともなるとなかなかの編成美…なのですが、キハ40でも1両め3両めは2000番代の転入組。また、冷改有りと無し、ロングシート改等々バラエティも雑多(←失礼)と云うのにも惹かれます。


 by GEMINI108 | 2013年12月19日(木)17:24

 2: Re: キハ40系絡みで

コメントありがとうございます。
日本全国に配置されJR全社に引き継がれたキハ40系ですが、デッキのない47だけは、やはり西日本方面に適応していた印象が強い(山陰本線京都口など)です。
そもそも寒地用47は新潟のためだけに作られた仕様と言っても過言ではなく、数も少なく(暖地用が300超なのに対し寒地用は40両程度)、その後の転属はあっても東北など他の地区では使い勝手的にどうなのだろう?と思ってしまいます。
そして気動車に限った話でもありませんが、時間の経過とともに仕様違いのクルマたちが入り乱れてしまうのは、趣味的におもしろい所ですよね。
郡山の40系は様々なバージョンが混じっているようで観察のし甲斐がありそうですw
水郡線から玉突きで新潟へとやって来た暖地型は未更新・非冷房、今年まで残っていたのが奇跡のようなものだったのですが、いよいよ解体でしょうか。寂しい限りです。


 by D派(管理人) | HP | 2013年12月19日(木)22:26

 3: 500番代で

気動車で寒冷地仕様だと、かつてキハ35系(キハ30と35で)でも有りましたが新潟と高岡に配属されて。新潟地区のそれは越後線電化時に多くが関東各地へと(余談なりますが新ナカ115系短編成化によるサハ115が大挙して上京したのも同じ頃か)。まあ、鉄道が大きく変わった時代だったなと今から想えば(良し悪しはおいて取り巻く状況も、ですから)。
画像、幾度もですみません…
ロングシート改造受けたキハ40 573車内で。トイレ撤去車室化等々、ですけど冷改はされておらず。車内銘板では仙台電車区車内改造平成元年とすでに四半世紀も前からこの姿のまま、時代に翻弄されつつもシブトク生き延び今日まで。
秋田や新潟にもいるキハ40ロングシート改ですが石巻線では日中ワンマン仕様、なので専ら朝夕時のみ出番とされてるようではあります。


 by GEMINI108 | 2013年12月20日(金)00:56

 4: また、画像がっ

すみません、やり直しで

 by GEMINI108 | 2013年12月20日(金)00:58

 5: Re: 500番代で

キハ35-500、懐かしいですねぇ。
といっても私が触れたのは新潟でなく八高線での末期でしたが、高校の頃によく写しに行きました。
上から写す時にグロベン付きの暖地型の方が絵的に好きで、たまに混じっていた寒地型は敬遠していた覚えがあります。
車内がオールロングに改造された車両といえば旧客や元荷電など意外と数はありますが、車内に入った時の違和感はやはりすごいですね。
過去に記事にしたことがありました。
http://mitsu5ya.btblog.jp/cm/kulSc14L2479C7690/1/
これで小出から会津まで乗り通すのは拷問に近いでしょう。


 by D派(管理人) | HP | 2013年12月22日(日)05:43


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